雑記帳(@watagasi_)

この素晴らしいタイトルに分析を!~このすばのタイトルについて考えよう~

しょうもな考察記事です。

 

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乳。

 

この素晴らしい世界に祝福を!(以下「このすば」)の2期が始まりましたね。私は1期を見てなかったのですが、2期の情報を目にして視聴したくなり、只今1期を見終わったところです。

 

久々に全編に渡ってコメディなアニメを見たということもあり、めちゃくちゃ楽しむことができました。

 

特にキャラクターデザインが好きですね。ギャグをやりながらキャラクターの可愛さも見せることもできる絶妙さが、このアニメのコンセプトに合っている気がします。

 

まあキャラデザの菊田幸一さん的には、全力を傾けた9話が本性って感じはあるでしょうけどね!

 

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さて、なぜ私が「このすば」を見始めたかと言うと…まあ前述の通り、2期の情報を目にしたからなのですが。

 

何に一番惹かれたかというと、「この素晴らしい世界に祝福を!」という「タイトル」なんですよね。 

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このタイトルを見ると、こう、なんか……”イイ感じ”になるんですよね…。

 

イイ感じってなんやねんって感じなんですが、もっと具体的に言うと夜明け前より瑠璃色なとかそして明日の世界より――を思い出す感じの、あのイイ感じなんです。

 

でも、護くんに女神の祝福を!とか「異能バトルは日常系の中で」とかは、近いけど違う感じなんですよ。

 

なんとなく共感されにくい感覚だとは思うのですが、みなさんどうでしょうか。

 

すごい私的な感覚の話ですが、この感覚はなんなのだろうかということについて今回書こうと思います。

 

なお、推論や結論の導出は極めて私的かつ雑なのでご了承ください。それと、読むのめんどくさい方は結論まで飛ばしてください。

 

目次

1.考える事

2.述語ナシ系タイトル~”イイ感じってなんなの”~

3.内容が特定できるタイトル・できないタイトル~”イイ感じ”の中の違い~

4.結論

 

 

1.考える事 

今回考える事は「”イイ感じ”ってなんなの」ということと、「”イイ感じ”の中にも区別があるらしいけどその違いってなに」ということです。これらを2つのステップで考えていこうと思います。

 

「”イイ感じ”ってなんなの」については「2.述語ナシ系タイトル~”イイ感じってなんなの”~」、「”イイ感じ”の中にも区別があるらしいけどその違いってなに」については「3.内容が特定できるタイトル・できないタイトル~”イイ感じ”の中の違い~」で話していきます。

 

 

 2.術語ナシ系タイトル~”イイ感じってなんなの”~

”イイ感じ”は「述語がない」

さて、まずは「この素晴らしい世界に祝福を!」というタイトルに感じる”イイ感じ”について迫っていきましょう。

 

そのためには似たような”イイ感じ”のタイトルを列挙したいところですね。

 

上に挙げたものだと

 

夜明け前より瑠璃色な
そして明日の世界より――
護くんに女神の祝福を!
・異能バトルは日常系の中で

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2007年…?

 

他にも私的に似たような”イイ感じ”を覚えるのは

 

空が灰色だから

この青空に約束を

それは舞い散る桜のように

もしも明日が晴れならば

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やったね、2015年だ(^^)。

 

なんてところでしょうか。どうです?”イイ感じ”、しませんか?しませんか?

 

…はて、ではこれらのタイトルの共通点は何でしょうと言いますと、「述語がない」んですよ。

 

一応「述語」ってなんですかってことで、google検索すると、1番に出る意味に

 

「文法上、主語の表すものの動作・作用・性質などを述べた語」

 

とありまして、今から語る「述語」の意味としてはこれが相応しいので、コレを基準に話していきます。

 

「述語がない」とはどういうことか。例えばこの素晴らしい世界に祝福を!というタイトルですが…

 

「祝福を、どうすんの!?」ってことが書かれていないですよね。これが「述語がない」ということです。

 

他にも「夜明け前より瑠璃色な」とか言われても、「瑠璃色な、なに!?」ってなりますし、「それは舞い散る桜のように」とか言われても、「桜のように、どうなの?」ってなるよね、ってやつです。

 

なぜ「術語ナシ系タイトル」は”イイ感じ”か

さて、ではこういった性質を持ったタイトルを「術語ナシ系タイトル」と便宜的に名付けておきましょう。

 

するとここで、1つの問いを発することができます。

 

すなわち、『なぜ「述語ナシ系タイトル」は”イイ感じ”か』ということです。

 

結論から言いますと、それは「述べ方を規定しないから」だと考えられます。

 

「述べ方を規定しない」とは

はて、「述べ方を規定しない」とは、どういうことでしょうか。

 

これからは、以下の論文を参照しながら書いていますので、余裕があれば一読ください。

 

http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/handle/2237/7988

(李 欣怡(2002)「格助詞で終わる広告ヘッドラインに隠されたもの : 文の「述べ方」という視点から」)

 

さて、「述べ方を規定しない」というのがどういうことか説明する前に、「述べ方」という言葉がなんなのかについて説明しておきます。コレは別に、辞書に乗っているワードでもないので…。

 

この論文の中では、「述べ方」とは

 

『「のべたて」、「たずね」、「はたらきかけ」など、ききてに対する「のべかけかた」と、断定、推量など、ことがらに対する「とらえかた」などを含む、はなしてによる現実への関係づけである。』

 

 なんてありますが、なんのこっちゃってことなんでザックリ言うと、「述語っつっても色々あるよね」ってことです。

 

再び「この素晴らしい世界に祝福を!」というタイトルを例に取ると 

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例えばここで「祝福を」に続いて欠けている述語が「送る」だとしても、「送れ」なのか「送ろう」なのか「送るのだろうか」なのかって感じで、いろんな「述べ方」が想定できるわけです。これが「述べ方」ですね。

 

ここまでくれば、「述語ナシ系タイトルは、述語無いんだから述べ方を規定できないとか当たり前じゃん」というのがお分かりいただけると思います。

 

なぜ「述べ方を規定しない」は”イイ感じ”なのか

そうしますと、先程の『なぜ「述語ナシ系タイトル」は”イイ感じなのか”』という問いを、『なぜ「述べ方を規定しない」は”イイ感じ”なのか』という問いに置き換えられますね。

 

そして、先に挙げた『「述べ方を規定しない」とはどういうことでしょうか』の続きを書くことができるわけです。ではいきましょう。

 

「述べ方を規定しない」とどうなるのか。というかそもそもなんで我々は「述べ方を規定する」のか。

 

「述べ方が分からなかったら伝わらないじゃん」と思いますよね。それが正解です。

 

「述べ方を規定する」ということは「書き手の主張を明確にする」ということです。

 

逆に言いますと、「述べ方を規定しない」ということは「書き手の主張を明確にしない」ということです。

 

ここまでくると、先ほど変換したばかりのなぜ「述べ方を規定しない」は”イイ感じ”なのか』という問いは、更に変形して『なぜ「書き手の主張を明確にしない」のは”イイ感じ”なのか』と言えます。やっとこさ、だいぶ明確になってきた感じですね。

 

この問いについて答えが出せれば、次のステップに行けそうです。

 

『なぜ「書き手の主張を明確にしない」のは”イイ感じ”なのか』

先ほどと同じように、「書き手の主張を明確にしないとどうなるのか」について考えます。

 

ですがその前に、「書き手の主張を明確にしているとどうなるのか」ちょっと想像してみましょう。

 

延々と「このすば」を例に挙げていますが、例えばこの素晴らしい世界に祝福を!というタイトルが「この素晴らしい世界に祝福を送ろう!」だったらどうでしょうか。ダサいとか言わないでね。

 

おそらく「ああ、この作品はよくわかんないけど祝福を送る作品なのか」と考えることと思います。このタイトルの書き手の主張を感じ、その主張をそのまま受け入れることでしょう。

 

しかし逆に、ある文章に述語がなく、「書き手の主張を明確にしない」でいると、読み手は勝手にその述べ方を補完し始めます。

 

すなわち、少し前に例示したような、『「祝福を」に続くのが「送る」として、「送れ」なのか、はたまた「送ろう」なのか…「送ろう」のほうが良いのかな。この作品的にはどっちが良いんだろう』みたいな思考です。

 

そうなってくると、その文章からは書き手の主張が薄れていき、そこに存在するのは、読み手の想像力ばかりになってきます。

 

そうです。この状態、「述語のない文章を読むと『読み手の想像力』が掻き立てられる」状態こそが”イイ感じ”なのではないでしょうか!?

 

…と私は思うのです。もう一度、例に挙げたタイトルを見てみましょう。

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2006年…?

 

夜明け前より瑠璃色な」「そして明日の世界より――」「この青空に約束を―…なんだか”イイ感じ”がして、それはこのタイトルについて「いろんな想像をさせられるから」だというのが、実感していただけるのではないでしょうか…。おそらく。多分。

 

…というのが「”イイ感じ”ってなんなの」についての話でした。

 

この説明に随分手間取りましたね…。

 

 

3.内容が特定できるタイトル・できないタイトル~”イイ感じ”の中の違い~

これでようやく「”イイ感じ”の中にも区別があるらしいけどその違いってなに」の話ができますね。

 

ここからの話は割りとザックリしています。だって「”イイ感じ”すらなんかテキトーな感覚なのに、その中にも違いがある気がするとかどんだけ勝手な感覚なんだ」って感じですし、実際私もそう思いますからね…。ザックリはしょうがない!

 

私が感じる”イイ感じ”の中の「違い」

最初の方で『この素晴らしい世界に祝福を!に感じる”イイ感じ”は夜明け前より瑠璃色なそして明日の世界より――とはにてるけど、護くんに女神の祝福を!「異能バトルは日常系の中で」とはちょっと違う気がするんだ!』と言いましたけど、なんででしょう。

 

まずこの辺を言語化しないといけません。ここんとこ、上手いこと前項と絡ませた言葉にしたいですよね。

 

いくらか考えましたが、私が考える「違い」はおそらく『タイトルを読んで掻き立てられる想像力の大きさが違う』ということなんだと思います。

 

タイトルから特定できるか・できないか

どういうことかと言いますと。例えば護くんに女神の祝福を!というタイトルを読んだ時、私は「う~ん、よくわからないけど、護くん(推定男)という人が出てきて、おそらく主人公っぽいな。女神って言うから女の子が出てくるんだろうか」と思うわけです。

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ウッ 

 

他に、「異能バトルは日常系の中で」というタイトルを読んだ時には、「とりあえず異能を使ったバトルをして、ジャンルは(その定義はともかく)日常系なんだろうな」と思うのです。

 

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工藤美玲会長…♡

 

ですが、夜明け前より瑠璃色なと言われても、「夜明け?瑠璃色?なんかきれいな感じだけど、どんな話なんだ」と思いますし、そして明日の世界より――については「明日の世界より、って明日から何か来るのか?というか”そして”ってなんだよ!」って感じです。

 

私がこの素晴らしい世界に祝福を!と言うタイトルを初めて見たときも、「世界に祝福ってどういうことだ…!?」となりました。

 

ですから、この「違い」を更に明確に言語化するならば、「タイトルを読んで内容をある程度特定できるか、できないか」であり、更に言うと、「タイトルから内容を特定できないものは、その分だけ想像力をさらに掻き立てられる」、とも言えそうです。

 

ようやっと「想像力の大きさの違い」という、曖昧な「尺度」の定義から「内容が特定できる・できないかの違い」という、ある程度明確な「区別」の定義になりましたね。

 

以上が「”イイ感じ”の中にも区別があるらしいけどその違いってなに」の話でした。

 

 

4.結論

さて、では最終的に、「このすば」のタイトルに私が感じる”イイ感じ”とは何だったのかというと

 

「述語のない文章を読むと『読み手の想像力』が掻き立てられる」

という状態が

「タイトルから内容を特定できないものは、その分だけ想像力をさらに掻き立てられる」

という効果で増幅されたもの、と言うことができそうです。

 

まあでも割りとガバガバな話で、『「この素晴らしい世界に祝福を!」ってタイトル見たら、「素晴らしい」「祝福」「!」とか付いてるんだからとりあえずポジティブそうな話だってのはわかりそうじゃん!ちょっと内容特定できるじゃん!』って言われたら全然反論できませんねw。

 

何か言うとすれば、「このすば」のタイトルは、内容特定できるかできないかの瀬戸際な感じの気がするので、そこがちょうど、「タイトルから内容を推察できるラノベチックさ」と、「内容特定しにくいタイトルな”イイ感じ”のエロゲチックさ」があって良いのかなみたいな(?)。

 

ラノベ的タイトルとイイ感じエロゲタイトルの対立軸みたいなのは雑に話すべきことではないですけどね。読んでてうっすら感じた方もいるかもしれませんが、当初はそのへんの比較も慎重に行って、「このすば」のタイトルの特異さに迫るつもりではありました。

 

ですが『「述語がなくてもタイトルから内容がある程度特定できる作品」には、いわゆるライトノベルに多い』なんて仮定をした日には、この仮説の厳密化のために、「この場合のライトノベルがなんなのか」を妥当性があるよう定義した上で、「エロゲタイトルとラノベタイトルの比較は妥当か、他に比較するもの無いのか」について考える必要があります。

 

そして仮説の検証のためには全ラノベタイトル、エロゲタイトルを列挙する必要があり、「ラノベの社」(http://ranobe-mori.net/)に当たった瞬間心が折れました。

 

『いや!ギリギリ「今回はラノベ電撃文庫の本だけに絞ったけどよろしくね♪」ならイケるやろ!』とも思いましたが、電撃文庫公式サイトの新刊/既刊情報(新刊/既刊情報|電撃文庫公式サイト)の検索欄を見て完全に戦意喪失しました。

 

電撃文庫の最初の本は1994年8月の新フォーチュン・クエスト1巻なんだ~…ということだけ理解しました。人類ってすごい。厳密な検証は誰かよろしく。

 

とりあえず、昔から思ってた『「そして明日の世界より――」とかいうタイトルエモすぎィ!なんでや!』という気持ちを、「このすば」という作品を契機にまとめることができて良かったです。

 

それでは。