雑記帳(@watagasi_)

【はんぱないパッション感想】なにもなくてもありのまま【金剛いろは】

f:id:watagassy:20190722160231p:plain


1.
VTuberがライブをやるというのはどういうことだろう、と考えることがある。

歌唱やパフォーマンスを軸に活躍しているVTuberの目標として、なんてのはしっくりくる。

でもそうじゃないVTuberの人たちのライブってなんなのだろう。




ただ、いくつか「そうじゃないVTuberの人たち」のライブを見てきて思ったのは、ライブというのは歌唱やパフォーマンスを行うよりも、もっと重要なことがあって、それはそこに音があって人がいるということだと思う。


音が作るメロディーに感情を乗せ、人が紡ぐ言葉に意志を乗せる。それが演者と観客の間で響き合う。そしてそこに巨大な意味が生まれる。


それが凄く大事なことで、歌唱やパフォーマンスをメインにしているかどうか、という枠組みの話よりも重要だと私は感じる。



そういう事を考えたとき、VTuberのライブイベント「はんぱないパッション」を終えて一番語りたいのは、金剛いろはという存在についてだと思った。




2.
金剛いろはは、VTuberのグループ「アイドル部」のメンバーで、一言で表すなら「快活」という言葉そのもののような人だ。

www.youtube.com
独特だけど大きく気分のよい笑い声。どんなものでも楽しんでみせるバイタリティ。そして常に全力前のめりで、どこか抜けたところのある茶目っ気が、見ているだけでとても元気がもらえる。

しかしそれと同時に、映画・漫画・文学などにも精通し、それだけでなくそのどれをも、己の主義を持って楽しみ尽くしており、オタクとして非常に憧れる人でもある。
その上で根底に見える、ファンや人を大事にする姿勢がどうにも惹かれてならない。それが私にとっての金剛いろはだ。


私はそういった彼女が本当に好きで、陰気で特にこれという得意なこともない自分にはすごく尊敬できて。
でも一緒にくだらないことで笑えるような親しみやすさもあって、だから金剛いろはという存在はめちゃくちゃに輝いて見えた。




3.
でも彼女には、もう1つの側面を感じる瞬間がある。
それは自分のことを「なにもない」人間だと思っているらしい、というものだ。


そういう側面を彼女に感じたのは、彼女のチャンネル登録者数が放送中に5万人を達成したときのことだった。
www.youtube.com

アイドル部には、登録者数が5万人に到達したら3D化できるという目標が活動当初から存在し、つまりその放送は1つの目標が叶った瞬間だった。
そんなときに彼女が感想として語ったのは、感謝の言葉と、常のように明るい台詞だったが、ほんの一瞬、本当にちらっとこぼすように言った言葉があった。



「ここまでこれたのはいろはの力はあんまり関係なくて…」
「いろはってなにもない…はははは!…あ~、あんま言わんほうが良いなこれ」



本当に一瞬の隙間に漏れたような言葉で、多分気にしなければ聞きこぼすし、気にしていても、彼女の明るい雰囲気に流されてしまうものだったと思う。
でも自分には、これがどうにも気になった。


だって自分の中の金剛いろはは、めちゃくちゃに輝いていて、憧れるだけの持てるものがあって、そういう存在だった。
そんな人が自信なさげな言葉をこぼすことに、意外に思ったのだ。


もちろん、彼女が魅力的に見えるというのは、自分から見た視点の話でしかなく、彼女がどう思っているかとは別の話だから、齟齬は当然あり得ることだ。「意外」なんて感想は、ファンとしての驕りと言う他ないが。



しかしそういえば、だいぶ前の配信でこんな言葉もあった。
www.youtube.com


「1万5千人いったのはね、ほんとにいろはの力じゃなくてね、みなさんとばあちゃるPとかシロちゃんとかアイドル部のみんなのおかげ。ほんとに。いろはの力全然関係ない、ほんとに。本当にありがとうございます」


活動開始からしばらくして、登録者数が1万5千人を超えたときの配信だ。
聞いていたときは、謙遜してるな~くらいにしか思っていなかったけれど、聞き直せばずいぶんと自分を否定しているようにも聞こえた。


これは2018/5/25の放送で、彼女の初放送が2018/5/6だから活動開始から三週間弱の頃だ。



ということは、彼女は活動を始めてから5万人の登録者数を突破するまで、ずっと「なにもない」を抱えていたのかもしれない。



そんな感覚を、ぼんやり覚えるようになった。


そのせいか、5万人突破以降、彼女に「貴女は魅力的なんだ」と伝えられる機会があれば、やけに臨んでそうしていた気がするし、伝える言葉に妙に必死さが乗ってしまっていたようにも思う。
ただそれと同時に、5万人突破以降はそういった様子を垣間見ることはほとんどなく、同時に彼女の持ち前の愛嬌から、彼女を愛する言葉は以前よりぐんと増え、しばらくすると私の必死さというのも少しずつ落ち着いていった。




4.
すっかり時は経ち、そんなことがあったのも記憶の彼方となっていた頃。
2019年5月19日。アイドル部の1周年を記念するライブイベント「はんぱないパッション」が開催された。


アイドル部のファンである私としては、とにかくこの日を楽しみにしていた。
それは1周年というのもあるし、なによりアイドル部が3Dになってから全員で集まるイベントというのは初めてだった。
前日には歌う曲のセットリストが一部公開されており、誰がどれを歌うのか、どんな組み合わせで歌うのか、他に歌われる曲はあるのか…などと妄想を爆発させていた。
ライブ直前にはアイドル部のプロデューサー・ばあちゃるがDJをやるイベントがあり、ライブへ向けた盛り上がりの準備としては完璧で、私は完全に仕上がっていた。



そしてイベントは開幕。
1曲目からセットリストにない曲がかかり、一瞬でテンションはフルスロットルに突入。
最高の興奮の中で2曲目を迎え、その勢いのまま3曲目へ。


ステージでの立ち位置を見るに、メインの歌唱担当は金剛いろはのようだった。
歌う曲はイントロを聞いたら一瞬でわかった。


「Butter-Fly」。言わずとしれた和田光司の名曲。世代なので、条件反射のように盛り上がる。
しかし、曲がわかって手を振り上げた瞬間、彼女に覚えていた感覚がバッと蘇ってきた。
そして彼女がこの曲を選んだ理由が、一瞬で理解できた。



Butter-Flyは、めちゃくちゃ元気の出る曲だ。だけど同時に弱さの哀愁もあって、そのギャップが心に響くのだ。
Butter-Flyのサビの歌詞はそう、




「無限大な夢のあとの 『なにもない』世の中じゃ そうさ愛しい 思いも負けそうになるけど」




このButter-Flyのあり方は、まさしく私があのとき感じた金剛いろはだ。
ハチャメチャに元気だけど、どこか自分を「なにもない」と思い、自分の力など大したものではないと語る彼女の姿。


それで、熱狂の中思った。もしかしたら彼女は、今も「なにもない」を抱えているんじゃないだろうか。
彼女の歌が終わり興奮のさなか、しかし頭の片隅の冴えた部分で、そういう考えが渦巻いていた。




5.
いくらか曲が終わって、全員でMCをする場面になり、金剛いろはが話す番が来た。
そこで彼女はこう語った。



「はい!ごんごんです!」
「えっと、この一年たくさんいろんな事がありました」
「いろはは、得意なこととかあんまりなくて、どうやったらみんなに好きになってもらえるんだろうとか、たくさん考えました」
「でも、今日この日をこんなに楽しんで迎えられたのは、アイドル部のみんなと、他でもない、いろはのために自分の時間を使ってくれている、みんなのおかげです!」
「本当に本当にありがとう!まだまだこの先も楽しんでいきましょう!」



それはすごく明るい言葉で、素直な気持ちという感じだった。私の考えていた陰りのようなものは、一切感じられなかった。
それでもそこには「得意なこととかあんまりなくて」という言葉があって、多分彼女のそういう感覚は、やはり活動当初から変わらないのだろう。


それを私は、どう受け止めればよいのだろう。




6.
それでふと思い出したのは、「ありのまま」という言葉だった。
アイドル部において「ありのまま」という言葉は特別な意味を持つ。



金剛いろはと同じアイドル部のメンバー、カルロピノの誕生日のことだ。
彼女は同じくアイドル部のメンバーである八重沢なとりに、誕生日プレゼントとして彼女自作のオリジナルの絵本をもらった。
「ありのおひめさま」と名付けられたその絵本のストーリーはこうだ。



あるところにアリのお姫様がいた。そのお姫様は、巣の中で不自由な生活を過ごしていた。
「私はこの体が大嫌い。もっと別の世界が知りたい。アリじゃなくて、別の生き物なら、もっと自由に生きられるのに」。
そう願ったお姫様は、魔女に「一度だけ別の体に変われる機会をあげよう」と言われる。
何者かに変わりたいと願うアリのお姫様は、何に変わるべきかを探す旅に出る。
しかしお姫様はいろんなものに出会った末に、最後には今のままの姿、「ありのまま」でいい、という答えを出す…。



その「誕生日にオリジナルの絵本を送る」というインパクトや、ストーリー・絵の完成度の高さから、リスナー・アイドル部のメンバー問わず大きな衝撃を与えた。
また登場するモチーフはそれぞれアイドル部のメンバーを元にしたもので、言外に彼女らへの肯定のメッセージがあった。
そのためそれ以降「ありのまま」という言葉は、アイドル部の中で時たま現れては「自分らしさを肯定する言葉」として用いられている。




7.
私が思ったのは、金剛いろはという人間は、「なにもない自分」こそ「ありのまま」だと感じているのではないかということだ。


ライブの2週間ほど前、2019/5/6。この日は彼女の活動一周年記念の配信があった。
www.youtube.com


活動一周年ということで、配信の冒頭では初配信の内容を完全にトレースして思い出を蘇らせてくれたり、それに感極まって配信活動を始めてから初めて配信中に彼女が泣いたりと、感動的な内容だった。
しかし後半になるにつれ、活動を振り返って今までの自分のしょうもなさに笑ったり、過去のクソゲー配信の内容の無さに拍子抜けしたりと、気が抜けるけど賑々しい雰囲気に包まれた。


そうして



「エモい配信しようと思ったんだけどならなかった。すまん!これがいろは!」



と笑顔で言い放った。



それはまぎれもない自分への肯定だった。うまくいかないことがあっても、それが私なのだと。これが「ありのまま」の私なのだと。




それを思い出すと、自分の中で絡まっていたものが、すっと解けたような気がした。


彼女が自分のことを「なにもない」と思っていて、それはそれとして私は彼女を魅力的に思う。それでいいのだ。だって彼女は、その在り方を「ありのまま」と肯定している。そこに何を気を揉む必要があるのだろう。




8.
彼女が歌っていた光景を思い返す。


なにもないのかもしれないけれど、Butter-Flyを歌う彼女は輝いていた。
Butter-Flyはコールのあるような曲じゃない。「WOWWOW~」と歌うところなんて、殊更レスポンスを求めるような部分じゃないのに、観客にも同じように歌わせてきたのは、盛り上げてみんなで楽しみたいという、彼女らしいサービス精神が出てるようで嬉しかった。
とにかく体で歌うような元気のいいパフォーマンスは、いつもの快活さを全身で体現していて、歌う姿を見れて良かったと思った。


ラスサビ前の間奏のMCで、彼女は語った。


「みんな、(ペンライトで)ピカピカしてくれてありがとう!!」
「いろは、未来の自分に向けてこの選曲をしました!」
「アイドル部皆で、これからも飛んでいきます!」


「未来」という言葉や「アイドル部皆で」という言葉にじんと来た。
VTuberとしての活動の中で、彼女が未来に向けて何か思いを馳せることができたり、アイドル部という仲間を良いものだと思えたりするのはいいなと思った。


そうして高らかに最後のサビを歌い上げる。「無限大な夢のあとの なにもない世の中じゃ そうさ愛しい 思いも負けそうになるけど」。その続きはこうだ。




「Stayしそうなイメージだらけの頼りない翼でも きっと飛べるさ!OH~! My~! Love~!」




なにもなくても、それでもそのままで、ありのままの姿で飛んでいけると彼女は確信している。そういう思いが伝わってきた。


MCを挟んだ後の最後のサビは、何か妙に気合が入っていて、その叫びにたまらず涙がこぼれた。



彼女の歌う姿、語る言葉に意味を感じた。ライブでなければ出会えないものを感じた。
このライブに、金剛いろはという存在の、等身大の「ありのまま」を見た。巨大な意味がそこにあった。




9.
ライブ後に、彼女は語ってくれた。

youtu.be

「ダメダメでいっぱいいっぱいなんだけれども、皆のおかげで飛べたよ!っていう…ぎこちなくても頼りなくても皆のおかげで飛べてますよっていうのが伝わったかな…と思って…伝わってますかね!?」


こうまでくると、「ダメダメでいっぱいいっぱい」なんて言葉もご愛嬌という具合だ。


「正直言うと、普通の人々よりずっと下手っぴなんですよいろはって…歌が」
「はんぱないパッションが開催されますよって話を聞いたときに、皆はいろはよりずっと上手な曲を聞いた上でいろはの歌も聞くんだな、っていうのがあって、すごい緊張したんですけど」
「でもまあ、いろははまあ、たとえね、下手でもあの曲を歌って皆に伝わってほしいことがあったし、もうあの、あっぷあっぷしながらでもいい!と思って」
「これだけは誠心誠意ね、放送初めてここでもう心から言わせていただくんですけど、めちゃくちゃ一生懸命歌いました」


けど、そんな「なにもない」と思ってる彼女は、それでも必死に頑張って、そしてこんなにも、ありのままに魅力的だ。
であればなにもない私も、この人生をやっていかないというわけにはいかないだろう。


そう思うと、彼女の借り物でしかないけれど、私の心にもなにか輝ける力が宿るように思えた。
こういう瞬間を教えてくれるから、彼女のことを応援したくなるのだろう。



だからこれからも、彼女のことを追い続けたい。



なにもなくてもありのままに羽ばたける、金剛いろはという存在を。